十三参りと鬱とメビウス
長男の十三参りに出かける。嵐山の法輪寺というお寺にお参りし「知恵」を授かってくるのだ。帰りには渡月橋を振り向かずに渡らないといけない。もらった知恵を落っことすというのだ。混むのが嫌だったのでかなり早い時間に出かける。嵐山に着いたのは九時頃だったのにもうかなりの人出でちょっとうんざりする。早々にお参りを済ませて引き上げる。
春というのはどうも嫌な季節だ。何がというわけでもないが、恐ろしく気分が憂鬱になってくる。この一年ほどこういう精神状態からの恢復を考えて医療の力を借りてみたりもしてきたがどうにも改善が見られず、こうなるとなんとか自力で生活全般見直しや物の考え方や人との距離感をうまく調整して生きてゆくしかないのかという風に考えるようになる。かの富野由悠季さんも「あえて健全に生きるべきだ・・・」というような事を言っておられるし、やっぱし信じられるのは自分しかおらんのか?というどうしようもない結論に至ったのだった。とりあえずどこから手をつけようかと物置から昔乗ってた自転車を引っ張り出す。身体的な健康も必要と思うのだ。十年ほど放っておいたので至る所ボロボロだ。近くの自転車店に持ち込んで修理の相談をする。新しいのもええのだが原点を大事にするということでできるだけ古い持ち物を活かす方向で考えようと思う。ワイヤーの類はほとんど交換。変速機も新しい物に交換。タイヤも交換。ハンドルもドロップハンドルをやめて街乗りに特化するような方向で改修してもらうことにする。
午後から京都市内へ。伊福部昭さんの追悼版アルバムが発売されているというような事が特撮ニュータイプに載っていたのでCDショップを数軒ハシゴする。このところ京都は特にこういう系統のCDを入手しやすい店が減っている。大阪へ行かないと何が新譜で出回っているかがチェックしにくくなってきた。結局モノが見つからずあきらめて帰る。行き帰りには「クレージーキャッツトラックス」を聞きながら移動する。青島幸夫さんの歌詞も素晴らしいが植木等さんの歌も素晴らしい。私が特に好きなのは「ショボクレ人生」と「遺憾に存じます」だ。『人のズボンで靴を磨く』とか『学生の頃は天才だったがサラリーマンになってしまったら皆同じ』というセンスが尋常ではない。最後に「大冒険マーチ」を繰り返し聞いて元気を出す。
メビウス最終回。あまりのご都合主義と友情の力の美しさの甘ったるさにガックリしてしまう。ミライを始めとするルーキー達がどう人間的に成長していったかという結果をもう少し明確に打ち出す必要があったのだと思う。リュウの変身も楽しいけれどだからどうだということもなく、迫っちのゾフィ変身もイベント消化の一環で終わってしまったように思う。結局壮大なつじつま合わせに終始しただけというような印象が強く残ったのは私だけなのでしょうかね?
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