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2006年5月 5日 (金)

二分化される自我・・・・

 京都新聞の文化欄を読んでると「無益さ排除とブログ隆盛」というコラムが掲載されていた。要約すると
○ブログはその内容を大別すると
 1,多岐にわたる情報発信や情報交換を意としたもの
 2,書いている本人の身辺の雑記
と言える。前者は有益であることはわかるが、後者が本人以外には無益である事が多く、また本人にとっても無益である可能性が高い。もしかするとブログの本質というのはその「無益性」にあるのではなかろうか?
○今の社会は「功利主義」と言える。社会にとって「有益なもの」「有益な人」以外はその行き場を失いつつある。日常の会話についてさえ他人にとってどうでもいいような部分は徐々に行き場を失っていっている。とはいえそういう部分も「自分自身」であることには違いない。
○ブログは社会からそぎ落とされた人のささいな感情や思考の受け皿と成りうるものであって、それを書くということで人は自分という人間の全体性を確認しているのではないか?

 自分のこのブログもそうだけれども、ここへ来る前に自分のHPをやってるときから一貫していたのは「人にとって無益な記憶の書き残し」ということだった。「誰にも理解してもらうことのできない小さな記憶の断片をつづる」ということがどんな意味や意義があるのか?ということについては答えを得ることはできずにいた。少なくとも情報発信ではないということはわかっていたし、人間嫌いの私が人とのつながりを求めるかのような事をしている矛盾というのは感じられていた。そういう点でこのコラムはブログを書く人間ってなんなんや?という事について的確に仮説していると思う。他者との関係を持つ場面では社会人として割り切った考えをせねばならない自分と、ブログでは本音を語れる自分との二分化・・・・・もしかしたら自分のブログであるのに本音を書くこともできなくなってきているかもしれない・・・・・・。

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