知覧特攻平和会館を目指す

エンジン警告灯の不安は解消されていないのだが、まとまった休みもいただけているので 前から行きたいと思ってた 鹿児島県知覧の「特攻平和会館」を訪ねたいと思う。山陽道から高速を乗り継いでいく計画だったが、私もいい加減お爺さんなので疲れを考慮して、四国を縦断し愛媛県の佐田岬半島の 三崎港から本四フェリーを使って佐賀関へ渡り、宮崎県延岡市で宿泊。翌日知覧〜開聞岳、池田湖を見て回ろうという考え。以前ツーリングベテランのSV650さんに教授してもらって佐賀関からフェリー利用した事があり、今回は自力でやってみようと思うのだ。
朝6:30に京都発、山陽道から明石海峡大橋〜徳島道〜松山道へ。佐田岬半島を走って三崎港に到着。ここで13:30。すぐ乗船できると思っていたのだが、バイクは6台づつの乗船で、確実に乗れるのは17:30の便だとの事。今更引き返すこともできないので待つことにする。バイクの需要が高まっているのか?前はすんなり乗れた印象なのだけどなあ。
それが、日頃の行いが良かったのか「15:30の便にのって頂けます」となって無事に乗船!
無事佐賀関に渡り、延岡市の宿泊先に到着。
翌朝鹿児島 知覧へ向かう。都城で一旦高速を降りて、でないと えびの高原に行ってしまうので少し地道走って隼人道路からまた別の高速で知覧へ。新緑がえらくきれい。3時間ほどで知覧に到着。
知覧の飛行場は、本来航空隊の訓練施設であったのが、戦局の推移から特攻隊の基地になっていったという事がロビーの解説ムービーで説明されていた。明日特攻するのだと命令されて、それを受け入れないといかんかったという理不尽さ。遺書や鉢巻に「一撃必殺」などと覚悟を記して居られる方もいるのだけれど 納得などできていなかっただろうなあ。陳列ケースには隊員の方達の別れの手紙が展示してあって、時間ある限り読ませていただいた。6月に出撃された方で「知覧の新緑がとてもきれいすぎて、明日自分が死ぬのだという事を忘れてしまっていた」という一文を読んで、道中の新緑のきれいさを同じように感じた自分は思わず泣けてしまった。この方達がこんな悲しい思いをして、無茶な命令をきいて死んでゆかないといけなかったのか?特攻のお陰で国が守られたということでもなく、敗戦によって国が滅んだわけでもなく。誰かの思い切った行動が情勢を決定的に変化させるのかどうか?知覧に一度行ってみてこの事を考えてみたかった。ちょっと自分の中ではこの間に起こった事が気持ちの上で整理がついたように思う。
昼過ぎに知覧特攻平和会館を出発。開聞岳へ向かう。
近畿圏とは違うきれいな山並み、遠いところまで来れたなあ。
池田湖でコーヒータイム。何年かがかりで来てみたいと思ってたので今日は納得。ちょっと残念だったのは、地元の美味しいものが食べられなかったことか。特に延岡市内にはチキン南蛮発祥の店があるとの事だったのが、店がお休みで食べられるなかった。
ninjaの警告灯もついたり消えたりで、それでもなんとか帰って来れました。
往復 約1800km。フェリー挟んだ分、何年か前の八甲田山行きの2000kmよりはちょい短め。それでもこの歳でよく走ったわ。
追記:今回もたくさんの虫の皆さんが犠牲になられました(笑)
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